かの名将ジョゼ・モウリーニョはかつてこのように語った。
「ピアニストは、ピアノの周りを走らない。だから我々もグラウンドの周りを走る必要はない。サッカーは、サッカーをすることによってうまくなるのだから」
もちろん、これはトップ・オブ・ザ・トップの話。育成年代ではコーンドリブルのようなドリル練習も効果はあるだろうし、いわゆる『筋トレ』と呼ばれるようなフィジカルトレーニングも意味がないことはないだろう。
だが、我々のようにプロとは程遠い、草サッカーレベル、個人参加のサッカーと個人参加のフットサルとを比較したとき、モウリーニョの言葉は当てはまるように僕は感じる。つまり「フットサルはサッカーの上達にはつながらない」ということだ。
それは個人フットサルという特殊な環境が影響を与えている。
個人フットサルの状況と弊害
競技レベルでフットサルをプレーすれば、サッカーと同様当然各々にポジションが振り分けられる。だが、個サルに行ったとき、正確にポジションを決めようとする人はまずいない。各々が何となく後方に陣取ったり、前線で常にゴールを狙える位置に付く。かくいう私は守備が苦手な自負があるため、前線に残っていることが多い。
こうしたある種『ポジションレス』の状況が生み出すのがプレッシャーの緩さ。個人フットサルでは自身が担当しているエリアというのが非常に曖昧であるため、選手個人に責任感が生まれづらい。したがって、ボールホルダーに対してプレッシャーがかかりづらくなるのだ。
そのため、守備意識の欠如や、逆にボールを持っていてもプレッシャーでのないプレーに慣れてしまうという側面があるのだ。
個人参加サッカーと個サルの違い
一方で、サッカーはたとえ個人参加の草サッカーであっても、ポジションレスというわけにはいかない。各々が好きな場所にいては、スポーツとして成立しないからだ。そのため、一定の責任感がそれぞれに生まれ、レベルは違えど、最低限のインテンシティ(強度)は生まれる。
だが、個サルで守備を真剣にやる選手は少ない。あくまでも、個サルは自分の足下の技術を磨く場所と目されており、しっかりとした守備意識を持つ選手はあまりいない。そのため、プレッシャーがかかる場でのプレーをするという経験はあまり得られないものとなっている。
もっとも、フットサルのほうがボールを触れる機会が多いため、細かいパスの技術、ドリブルなどの向上には役立つかもしれない。だが、あくまでもサッカーを上手くなるためにはサッカーをするべきだというのが私の考え方だ。
私がサッカーをやる理由
私自身、フットサルにどこか物足りなさを感じたため、サッカーを再びやるようになった。
学生時代はずっとサッカーをやっていたが、社会人になって趣味としてやっていたのはフットサル。もちろん、気軽に友人と行けるし、息抜きにもなる。趣味としては素晴らしいのだが、なんとなく成長する上で“壁”がないことに違和感を持っていた。基本的にやりたいプレーが思うようにできてしまう環境は快適なようで、自分の成長につながらないなと思ってしまったのだ。この謎の向上心がプレーヤーに共通するものなのかはわからないけれど…。
そこで個人参加のサッカーに手を出してみた。すると、どうだろう。フットサルと比べて走る距離が長くてしんどいは、どこでボールを受けてもプレッシャーがかかるは、「何だこの難しいスポーツは!」と衝撃を受けた。これこそ、自分が求めていた“壁”なんだと思った。
それでも、活躍できるときもある。当然、ミスばかりで上手くいかない日もある。サッカーのそんな難しい側面に再びハマっているのが今の私だ。
学生時代にサッカーをやっていても、「走れない」や「ボールに触れない」といったことを理由にサッカーから遠ざかっている人も多くいるだろう。だが、もしフットサルをプレーしていて、どこか物足りなさを感じているのなら、再びサッカーに一歩踏み出してみてはいかがだろうか。